七分間の二重密室

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 それは何の変哲もない、暑い暑い残暑の日だった。冷房の風が好きではない西川 守は、昼食後の空き時間をどこで過ごそうか悩んだ末に、一度は入った図書館を冷房が強すぎるという理由で出て、結局は真壁 直人がいないことを確認してからミステリ研究会の部室へと落ち着いた。守がやってきた時には、部室には誰もいなかった。守はパイプ椅子に腰掛けて、何代も前の先輩が置いていったという扇風機を回した。

 扇風機なのだから回ればいいのだ。例え首が丁度百二十度回ったあたりで、ガクンという盛大な音を立てようと、羽の部分が回っていれば問題ない。風はくるのだから。そういえば、二重作は別に肩が凝っているわけでもないのに、首を回すとやはりこのオンボロ扇風機のように骨が盛大な音を立てる。間接がずれていたりするのではないかと思うのだが、本人は別段気にしている様子はない。骨がゴキゴキ音をたてようが、テストを受けて単位がもらえる頭があれば良いのだそうだ。なるほど、風が送られればいいこの扇風機と同じだ。

 うっすらと汗をかきながら、守がレポートに使えそうな資料を読み始めた頃、部室に正規のミス研部員が二人入ってきた。守が反射的に顔を上げたのは、授業であるはずの直人が自主休講を決め込んでやってこないとは限らないからだ。

「あ、西川先輩。やほーっ!」
「こんにちは」

 だが幸いなことに、入ってきたのは直人ではなく、後輩の今井 杏奈と八尾 京一だった。とりあえずほっと息をつく。

「やあ、お邪魔しています」

 守が毎回のことながら律儀に断ると、水着のような割合で肌を露出をしている杏奈と対照的に、薄いながら長袖を着ていた京一が苦笑して応えた。

「いえ、肩こり扇風機しかお構いできませんが」

 今度は守が苦笑する番だった。

「肩こり扇風機か……なるほど」

 プロペラと首で必死に空気をかき回している扇風機は、そこでタイミングよくゴキッと音を立てた。肩を揉んであげられたらいいけれどね、と言いながら杏奈がその扇風機の前に屈みこみ、無体にもその首を両手で押さえ込んだ。しばらくその状態で風を一人で受け止めた後、先に座っていた京一の前に陣取って、杏奈は守に向かって言った。

「先輩、少し五月蝿くしても平気ですか?」

 わざわざ断ってきた杏奈に、守は目を丸くした。

「どうぞ。元々俺のスペースじゃあないからね、気にしないで」

 なんと言うか、普段の杏奈ならそんな断りを入れることはないはずなのだ。無神経だとか、そういうわけではなくて、杏奈は元々それほど騒がしく喋るタイプではない。ミステリ談義で熱が入ることは勿論あるが、それはミステリ部員としては健全な反応と言えた。

「ありがとうございまぁす。よし、じゃあ八尾ちゃん、さっきの検討してみようよ」

 どうやらそのミステリ談義をするつもりらしい。というのも、文学部である杏奈と、平野と同じ医学部である京一との授業は全く被らないはずだから、これが学生らしき授業やゼミに関する学術談義となるはずがないというのを、守は知っていたのだ。

「じゃあ、おさらいするよ? 学食のガッ君、ということにしよう。彼の話はこうだった」

 と京一が先に切り出した。学食のガッ君。安易に少年Aとかにしないあたりは彼の良心というか、慈悲なのだろうか。何となく耳に入ってくる二人の会話を軽く聞き流しつつ、守は再び資料読みに戻った。

 先に断っていたように、杏奈の声は普段よりも興奮気味で少しだけ大きかった。細長い机を一番短い距離で座っている杏奈と京一の会話から、どうしても聞こえてしまう声を元に守が再構成した話の内容はこうだった。

 二人はどうやらここに来る前の時間、学食で偶然出会ってお昼を一緒に食べていたらしい。当然世間様でもお昼と呼ばれる時間帯のその時、学食は他の学生もいてかなり込み合っていたようだ。二人はとりあえず空いている席を確保して、それぞれ可もなく不可もなくという学食を口にし出した。込み合っていて話もままならないので、食べるだけ食べてすぐに食堂をあとにしようとしていたところに、二人と同じように学食で昼食を摂っていたガッ君の話し声が耳に入ったのだ。

 ガッ君の話はこうだった。彼が先週の日曜日に彼女と一緒に遊園地へデートに出かけたということを友人に語っていたのだ。何のことはないただののろけ話かと思われたその話は、意外な方向へ転換した。ガッ君はそのデートで、とても不思議な体験をしたというのだ。ミステリ、不思議、謎。この言葉に反応する二人の耳はガッ君の話に夢中になった。ようは盗み聞きだ。

 ガッ君の体験した不思議なことというのは、遊園地にはよくある観覧車にまつわる話だった。彼女はデートの最後に観覧車に乗りたいと言った。けれど生憎、ガッ君は高いところが嫌いだった。ジェットコースターは彼女も駄目だというので何とか誤魔化せたが、最後の最後で観覧車。ガッ君は情けないと思いつつも彼女に事情を話して、けれど折角だから、と彼女だけを観覧車へ送り出した。その観覧車は一周に七分かかる。彼はゴンドラに乗り込む彼女に手を振って、すぐに観覧車に背を向けた。昇っていくゴンドラを見るのも怖いという筋金入りらしい。そのかわり時計できっちり七分を測って、そろそろ彼女が降りてくることだろうと観覧車を振り返った。しかし、彼女が乗ったはずの赤いゴンドラはすでに誰も乗せない状態のまま再び上昇を始めたところだった。ガッ君は辺りを見回したが、彼女の姿はない。

「不思議だよね? 彼女が降りるところを見なかったのに、一周回ったゴンドラに彼女は乗っていなかった」

 杏奈が首を傾げると、京一もそれに頷いた。

「視覚的な密室だね。彼はずっと乗り口で彼女を待っていた。彼女は観覧車という密室に乗って一周し、そして彼の監視の中、つまり密室の延長をどうやってかすり抜けて外に出ていた」

 今度は京一の言葉に杏奈がしきりに頷く。

「消失トリックだわ。ゴンドラと、そして視覚的な密室という二重の密室状態で彼女は消えてしまったのよ!」
「本当は最初から乗っていなかったってことはないのかな?」
「ないわ! 彼は彼女がゴンドラに乗って扉が係員に閉められるのをはっきり見ていたって言っていたもの」

 段々と杏奈の声は興奮の色を濃くしていく。ミステリ談義でミステリ部員が興奮するのは当然のことと言えるだろう。けれど、と守は首を傾げた。もう手元の資料を読む気にはなれない。

「じゃあ、ゴンドラの中で……どこかに隠れていた?」
「もう一周回ったってこと? でも、観覧車のゴンドラに隠れる場所なんてあるかしら?」

 黙って話を聞くだけにとどめておこうと何度も思った守だが、ここにきて二人の会話にとうとう口を挟まずにはいられなくなった。

「どうしてそんなことをする必要があるの?」

 守が挟んだ一言に、杏奈と京一は三秒ほど固まった。咄嗟のことに弱いのはやはり男の方なのかなと守が感じたのは、先に立ち直って猛然と抗議してきたのが杏奈だったからだ。

「何言っているんですか! 西川先輩、状況がわかってます?」

 杏奈が先ほどの興奮を引き摺ったままの調子で叫んだ。守はそんな杏奈をなだめるようにして手を振る。

「分かっているよ。カップルでデートに行ったけれど、彼女は彼が高所恐怖症と知らず観覧車に誘った。彼だって彼女の手前何とか乗って見せたかったけれど、無理に乗って気絶するのはもっと恥ずかしい。だから素直に一緒には乗れないと断った。でも彼女は観覧車に乗るのを楽しみにしていたから、じゃあひとりでいいなら乗っておいで、と彼は彼女を送り出した」

 なんだかんだとしっかり話を聞いてしまっていた守はすらすらとガッ君の体験をなぞる。

「そうです。彼女は彼の見ている前で観覧車に乗った。赤いゴンドラです。そしてその観覧車は一周七分かかるんです。彼はきっちり七分時計を見ていた。彼女を見送ったその場から動かずに、です」

 杏奈に遅れて立ち直った京一が、やはり興奮を引き摺ったままの様子で説明を加えてくれる。それに頷いて、守はさらに続ける。

「でも観覧車の方をずっと見ていたわけじゃあないんだろう?」
「えぇ。筋金入りらしくて、昇っていくゴンドラを見るだけで眩暈がするとか」

 そんなので飛行機とかは乗れるのだろうか、と思わず守は考えてしまう。飛ぶ鳥を見て眩暈をおこしたりするのか?

「あぁ、そうなんだろうね。ずっと見ていたら悩む必要なんてなかっただろうし」

 日常生活にまで差し障るようだったら、病院に行ったほうがガッ君のためかもしれないな、と守はついでに考えた。それを本人に言うことはできないだろうけれど。何しろガッ君の本名も、顔もしらないのだ。

「西川先輩! 一体何に気づいたんですか? 教えてください!」

 別に焦らしたつもりはないのだけれど、京一と杏奈の目はもう待っていられないと血走っている。

「八尾君だって、さっきから言っているじゃあないか」
「何をです?」

 まぁ、そう結論を急がなくても、それは目の前に転がっているのだけれど。

「ガッ君は乗り口で彼女を待っていたんだろう?」
「そうです。観覧車自体は見ていなかったかもしれませんが、ずっとその場で彼女を待っていたんですよ?」

 そう答える京一に、守は指を差し向けて教えてやる。そこに解答が落ちているよ、と。

「だから、そこだよ。彼が待っていた場所は、観覧車の乗り口なんだ」
「それはだから、さっきから僕が何度も……」

 苛ついた様子で言いかけて、京一ははっと口元を押さえた。

「……え? 乗り口?」

 どうやら気付いたようだ、と守は微笑む。

「え? 何、何か変?」

 まだ落ちている解答に気付かない杏奈は、頭に疑問符を浮かべてうろたえている。逆に京一は拾った解答のあまりの飾り気のなさに大笑いした。

「ははっ、そうか、馬鹿みたいだ。彼は観覧車の乗り口で待っていたって、確かにそう言っていました」
「そういうこと。だったら何の疑問も無いだろう?」

 守の言葉に確かに、と京一は笑いを噛み殺しながら頷いた。

「え〜! 何、何なの! 八尾ちゃん! 私はわかんないよ! 西川先輩!」

 仲間はずれにされた子どものように杏奈は守と京一の顔を交互に覗き込む。守と京一は顔を見合わせて、守の方が解答を拾い上げて杏奈に見せてやることになった。

「良く考えてみなよ、杏ちゃん。ガッ君はその話を食堂でしていた時、彼女が帰ってこないことを本当に不思議がっていた?」

 守に問いただされると、杏奈は少し上空へと視線をそらして思い出そうとする仕草をとった。

「え? えっと、どうだったろう……。確か……確か不思議がっては、いなかったかな? あれは、不思議って言うより……」
「苦笑していたよね。多分、自分自身に」

 先に解答が見えた京一は余裕をもってそう助け舟を出す。

「あ……そうかも。そんな感じ」

 それに納得した様子の杏奈を見ると、守は知らず頬が緩んだ。年は違うけれど、守にも妹がいるので年下の女の子というのは何となく皆微笑ましく見えるのだ。

「彼は納得していたんだよ。自分が待っているのに、彼女が観覧車から降りてすぐに自分のところへやってこなかった理由に」
「どうして?」

 どうしてっていうほどのことでもない、と守は肩を竦める。

「その後、彼女には無事に会えたからさ」

 守の答えに、杏奈はぐっと腹に力を入れるような仕草をとった。どうやら納得いかないらしい。

「どうしてそんなことが西川先輩に分かるんですか? まさかその場にいたとか?」

 それともエスパー? とミステリの法則から外れそうなことを杏奈は言い出す。守は小さく息継ぎして再び謎解きを続けた。

「その場にいなくても分かるさ。その話をしていた彼は、彼女が消えてしまったと、そう言っていた? デートはそれで終わりだったって?」
「い、いいえ。そんなことは言っていませんでしたけれど……」
「じゃあ、彼女は彼のところへ帰ってきたんだよ。そうでなければ、食堂で笑いながら披露している場合ではなかったはずだ。今頃は行方不明事件で騒いでいるよ」

 失踪事件なんて大げさなことではなく、例えば彼女が観覧車に乗れない彼に呆れて先に帰ってしまったのだとしたら、彼はのんきにその話を人の多い学食ではしないだろう。そこから守の導き出した答えというのは――。

「彼女は普通に観覧車を降りたんだよ。彼氏の待っている乗り口とは反対の、ちゃんとした降り口からね」

 ぽかん、と杏奈がまあるく口を開けた。可愛いと見るか、間抜け面と見るかは見ている人の好意によるだろうと守は分析する。幸い、守も京一も前者の部類に入るようで、杏奈はそれに感謝しなくてはいけないだろう。

「乗り口と、反対側?」

 繰り返さなければならないほど不可解な解答ではないはずだが。

「そう。確かに観覧車によっては乗り口と降り口が同じ方向――つまりひとつだけ――である場合がある。彼は彼女が乗った観覧車もそうであると勝手に思い込んでいたんだ」

 ゴンドラが昇っていくのを見ることさえ嫌がる彼ならば、観覧車の降り口や乗り口に気を配らなくても頷けるだろう。

「でも実際には、降り口は乗り口の反対側。つまり乗るときに開けるゴンドラの扉と、降りるときに開けるゴンドラの扉は逆方向だったわけですね?」

 京一がそう補足する。

「そういうこと。彼は彼女の乗ったゴンドラをずっと見ていたわけではなかった。だから気づかなかったんだ。もっとも彼女よりも先に乗ったはずの、他の客だって降りてこないんだから、早めに気付いても良かったんだけれどね」

 あるいは彼女がゴンドラに乗ったときに、ゴンドラの窓から透けて、反対側に立っていた係員が見えてもおかしくなかった。けれど、筋金が入っていたことが災いしてか、彼は観覧車を、ゴンドラを含めてよく見ていなかったのだ。

「彼女は観覧車の降り口が反対側であったせいで、ゴンドラから降りてもすぐに彼のところへ帰ることができなかったんだ。おそらく、降り口が逆であることに気付いたのは、彼女がゴンドラに乗ってからのことだったんだろう。景色に夢中になってしまったからか、それとも降りてすぐに彼に連絡をとれば良いと思ったからか、彼女はゴンドラの中から携帯電話を使って彼に連絡をとろうとしなかった。降り口のことは彼も気づいただろうとたかをくくっていたのかもね」

 これが解答、と守が明かすと、杏奈はずっとつめていた息を思い切り吐き出した。出て行った空気の分だけ身長が縮んだように思えるくらいの溜息だった。

「なんだぁ。せっかくミステリを見つけたと思ったのに……」
「世界は謎に満ちているって? 案外考えてみればそうでもないのかもしれないね」

 解こうとすれば解ける謎が圧倒的に多いのかもしれない。事を難しくしているのは観察者の方なのであって、見る人が見れば、謎なんてあってないようなもの。それこそあってないような謎を完璧になくすためには、探偵の視点が必要なのかもしれないけれど。

「むう……。そうだ! 今度四人で観覧車乗りに行きましょうよ。平野先輩と私と、西川先輩と八尾ちゃんでダブルデート!」 

 それは一見とても魅力的な提案に思えたけれど、男二人は慎重に顔を見合わせた。

「……ねぇ、杏ちゃん」
「それって、もしかしなくても組み合わせはその順番?」

 ゴンドラは四人乗れなくはないだろうけれど、大人四人が実際に入ってみればとても狭い。ダブルデートと銘打つからにはカップルは二組で。ならば普通に考えて、ゴンドラは二人、二人で乗るべきなのだろう。問題はその二人の組み合わせだ。

「勿論ですよ! 頑張ってね、八尾ちゃん。西川先輩と八尾ちゃんならあたし、絶対に協力するからね!」

 杏奈に想いを寄せる京一はその台詞にぐらりと頭を揺らした。知っていた。彼女がこういう人だと知ってはいたのだけれど、というところだろうか。

「杏ちゃん……平野と俺のことは応援してくれないわけ?」

 一方の守も痛む頭を治めることができない。この間早く告白しろと発破をかけてくれたのはどこの誰だっただろうか。そのことを忘れたわけではないのだろうけれど、杏奈はしれっとして答えた。

「応援はしますよ。でも協力はしません。別に対した障害があるわけでもないでしょう? 西川先輩が踏み出せばいいだけだもの。でも八尾ちゃんとなら障害はいっぱいだし、その方が燃えます!」

 ちなみに守も京一も、できれば障害の少ない恋愛をしたいと思っているのだけれど。隣で肩を落とした京一が哀れに思える。やはり女の子はデリカシーに欠けるところがある、と守は再認識した。男は案外繊細だと、彼女は知っているだろうか?

「あ……そう」

 そう言えば彼女の書きかけの小説は、探偵と助手が恋人同士だったな、と守は思った。しかも男同士で。ここにも危険な推理作家の卵がひとつ。


 推理作家の卵を見つけたら是非教えてあげよう。
 無理にこの世に謎を作らなくてもいいんだよ、と。

100題Top / Mad Freand Top